陸奥宗光【似顔絵】

陸奥宗光(むつむねみつ)1844〜18997年


紀伊の国和歌山城下に生まれる。藩重役を歴任した伊達宗弘の長男。


文久三年(1863年)10月13日、勝海舟 に入門。神戸の海軍操練所で研鑽を積む。


この時、坂本竜馬 との交流ができ、後に、長崎の亀山社中(のちの海援隊)に入る。


当時の名は、陸奥陽之助


維新後は、外国事務局御用掛、兵庫、神奈川県等の知事、大蔵省租税頭、元老院議員を歴任。


明治11年(1878)政府転覆を意図した土佐立志社事件に関与、免官になる。


5年間の入獄。出獄後、欧米を歴訪、帰国後外務省へ入る。


明治21年(1888)駐米全権公使に就任。


明治23年(1890) 第一回衆院選で当選。第一次、山県内閣、松形内閣のときに、農商務相、第二次伊藤内閣で、外相を務める。


明治27年(1894) 日英通商航海条約に調印、領事裁判権を回復する。


対清強硬路線をとる。


三国干渉の処理をする。

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